このブログをやめてまだ2年しか経っていないらしくて、本当にびっくりした。4年かそれ以上前のことだと思っていた。2年前って、一応今と同じ高校生だ。高1の夏真っ盛りじゃないだろうか。そのころの記憶はないけれど、このブログをやっていたころだったのか。とても意外だ。たぶん2010年びっくりランキング首位に上った。本当に驚いた。
現実逃避にフォントとタイトル変えてみたけれど、十中八九誰も見ていないだろうから何かに気を使う気はない。
何か書く。
はてな以外のブログの更新のしにくさについて、とかは書き尽くした感じがする。わざわざユーザーなんたらページとかに飛んで記事を書かなきゃならない理由がわからない。 その場更新でいいのに。あれはああいう権利をはてなが持っているのだろうか。たぶんそうだなあ。
このフォントについて。自作しようかと思ったけれどあまりにだるかったから適当にテンプレを見ていたら奇妙なデザインのものがあったのでそれにした。読みにくさがすごい。何かいびつ。でもそれがいいのだろうか。
自分を高校生とか書くことについて。この間本屋で朝井リョウの本のあおりを見たときに似たようなことを考えたけれど、やはりあまりいいことではない。昔はそうは思っていたなかったのに、最近は痛感しているのが、若いというのはその分絶対的に経験地が足りていなくて、それは文章を書くという行為において明らかな差を生むということである。もちろん小学校低学年の分際で、俺が死んでも書けないような描写をする三島のような天才もいるけれど、その三島の作品だって、そりゃあらゆる経験がなければ作れなかった。とはいえ、別にすべての人が「む、この筆者は若いな」と感じ取れる感性を持っているわけでもなく、年に因る確定的な経験地の差が現れないような文章、もしくはうまく隠れるような文才を以って書いた場合なんかは、その差の隠遁は安泰になる。つまりは、年を公表することにメリットなんてないといいたい。現役大学生小説家なんて鼻で笑われるだけだし、いくらいいものを書いていてもそれは足枷になる。所詮青臭いガキの話であると。正直、俺もそうする。
だから当時のおれは、このブログのプロフィール欄に生年月日を書きたくなかったのである。端から「なんだガキか」と笑われてから接されたくはなかった。ではなぜ今は平気なのか。実はそれがよくわからない。そこが変化なんだとも思う。ちょっとゆっくり考えてみようかしら。
おれは1993年生まれの高校三年生です。
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