これは、その時は単に淡く、ただの気配として私が勝手に感じ取ったことなのですが、実は後に確信に変わることですので、一応描写しておきますと、階段を降りている最中の天童さんは、何だか少し辛そうにみえました。これは、まさしくそんな雰囲気だった、としかいいようがありません。なぜなら天童さんは私の前を行っていて、横顔すら覗けなかったですし、2階に着いて、私の方を振り返った時には、先ほどと何ら変わりない表情で話しかけてくれたのですから。
「深川さん」
天童さんは言いました。
「はい」
「そこ、――っていうより、このフロア、って言った方がいいか」
天童さんは、207号室の縁のあたりを指差した後、言い直すためかその手を振って2階全土を示す仕草をして、
「2階を上り下りするとき、もしかしたら縁に横たわって寝ている、猫みたいな女の人見かけるかもしれませんけれど、そうしたらできるだけ起こさないようにしてやった方がいいと思います」
「はぁ……？」
と、言われたものの、よくわからず、私は首を傾げます。
猫、みたいな女の人。どういうことでしょう。
縁で寝ているって、危ないですよ！
「いや、バランス感覚も猫みたい、というより猫そのものなんで心配はいりません。起きてたら向こうから話しかけてくると思いますけれど。魚とかあげたら喜ぶんじゃないですかね」
天童さんは言いながら、また階段を降り始めました。
「特に鮭とかなー」と言って、煙管ちゃんも続きます。私も後を追いました。
猫、みたいな人……。私は考えました。気になります。2階に住んでいる人なのでしょうか。『きゃんでぃ・ぽっぷ』。何かただものではない方々が集うアパートな気がしてきました。
たん、たん、と一歩ずつ降りるたびに、煙管ちゃんの金髪は左右に揺れて、それに見蕩れながら歩いている私は、先ほどから幾度かこけそうになっています。そう、煙管ちゃんの可愛らしさときたら、私を転ばせるほどなのです。まるで美しい薔薇には棘がついている、という鉄則を体言しているようにです。
さらに、今日はお天気がよくて、吹く風が軽やかで気持ちいいこともあいまって、後ろを歩いていると、煙管ちゃんのなんともいえない甘いにおいが、自然と私の鼻に届くわけです。それを嗅いでいると、とてもじゃないですが筆舌に尽くせない変な気分になり、頭はぽーっとしてくるわけです。
つまり、何故先ほどから私がこうも強く二の腕を抓っているかというと、油断しているとつい襲い掛かってしまいそうになるわけですよ、ええ！
ほんとに危ないですね今の私！ そして多分、これからの私も！ ……明るく振るまっていないで、気を強く持たねばなりません。煙管ちゃんのような敏感な年頃の女の子に、そう気安く触れることはご法度ですよ。さっきも涙目になっていましたし……まあ、それもそそるといえばそそるわけですけれど、いや、これ以上書くと私の尊厳が危ぶまれる気がするので、割愛させていただきます。
ごほん！
さて、紫と赤のコントラストの威圧感が凄まじい大家さんの部屋の前を通り過ぎて、『きゃんでぃ・ぽっぷ』の外へ出ると、天童さんは「こっちです」と言って大通りの方へ向かいました。
「どんなところなんですか、ええと、その『蔦の家』というお店は」
私は質問しました。
「どんなところ……。まあ、見ればわかりますよ。蔦の家です」と、天童さんは答えました。
「見た目がまんま、蔦に覆われた家なんだよ、おねーさん」
煙管ちゃんが言いました。
「心配しなくていいよっ。そんな変なところでもない。さっきも言ったように、ちょっとユニークなだけさ。くっくっ」
煙管ちゃんは、
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